先週日曜日、息子の運動会が開催された。
この小学校の運動会は、毎年10月開催で慣例化
されていたのだが、今年は、開校80周年だからと
いうよくわからない理由で、5月開催と相なった。
もちろん、そんなことで、誰が突っ込みを
入れるわけでもなく、夕方からの雨予報を睨み、
駆け足で行われた。
今年の息子は、年初からスポーツを始めたとはいえ、
昨年10月に行われた運動会から、半年しか過ぎていない。
私は自ら、競技的な進歩を期待しすぎまいと言い聞かせていた。
ただ、彼は先月新3年生となって、担任の先生も代わり、
初めてのクラス替えも経験している。新しいクラスメイトと
上手くやっているのか、息子がどう変わったのか、
そんなところを楽しみに出かけたのである。
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息子が生まれたのは、日曜日だった。
彼が産まれた日は、今も家族で語り継がれる
笑い話のイキサツがあるのだが、それは別として。
分娩室に呼ばれた私は、産まれたての息子と
初めて対面したとき、何より右目瞼を開いて
いなかったことが、気になったのを覚えている。
心配して、すぐに看護婦さんに、尋ねると、
それで気がついたように、彼女はおもむろに
指で息子の瞼をこじ開け、にっこり「大丈夫ですよ、
男の子です。」と言ってくださった。。
もう8年も前のことである。
見た目は、ぱっちり二重の男の子。
ただ、視力において、左目が裸眼で1.2なのに、
右目が0.5しかない。彼の視力の話になると、
つい、その光景を思い出してしまう。
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本日、息子の小学2年生の全授業が終了した。
今日から来月7日の始業式まで、春休みとなる。
本当に羨ましいかぎりだ。
さて、終業式といえば、お約束の通知表である。
誤解を恐れず言うが、私は通知表を信用していない。
息子の習熟度くらいは、親である自分のほうが
よくわかっていると自負している。
特に、初等教育の場合、そう思って通知表を開かないと、
自分の評価と通知表の評価に相違があった場合、
私自身が混乱し、教育や指導の適正を欠いてしまう。
ただ、他者の評価としては、非常に興味はあるし、
通知表は、家庭での良い指導機会となりえる。
また、通知表を眺めると、学校が何を評価しよう
としているのかを知ることができるのも良い。
一番ありがたいのは、生活面を知る通信欄だったりする。
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実は、日本の国語教育には、昔から疑問があった。
その疑問点とは、小学校の6年間、いやその後の中学や高校も
含めて、漢字の読み書き以外で、一体自分がどういうことを
学んでいるのか、はっきりしないという根本部分であった。
算数なら、掛け算や割り算、図形の性質。。
社会なら、地域の歴史や日本の歴史。。。
他の教科なら、ある程度、学んだことを言える。
国語はどうだろう。
教える側の理屈では、恐らく、読む、書く、伝えるなど
を総合的に学ばせてるとでも言いたいのであろうが、
どう贔屓目に見ても体系的だった学習とはいいがたい。
私の場合、小学生のときに、国語の勉強で記憶があるのは、
漢字の書き取りくらいしかなく、あとは教科書を読むくらいである。
当時から、一体何を勉強しているのかよくわからなかったから、
何をどう勉強したらよいのかも、よくわからなかったのだ。
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私の息子は小学生である。
実は、定期的に催される父兄イベントには、
参加率の低い駄目な父親となってしまっている。
母親が穴埋めをしてくれてはいるが、彼女も働いており、
重心がなかなか学校側に傾かない。
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